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必読。公安委員会に「丸投げ」 ネットカフェ規制条例の危険性を改めて考える

by on 3月.17, 2010, under New!! ネットカフェ規制, タウン情報

▼no more capitalism 

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ネットカフェ規制条例の危険性を改めて考える

 カテゴリ : 監視社会
 執筆 : toshi 2010-3-14 16:18

 昨日、新宿でネットカフェ規制条例反対のデモが行われた。(報道は東京新聞,共同など)デモコースは、地図にあるように、新宿西口から歌舞伎町の中を一周し、伊勢丹の脇を通って、新宿でいち早く監視カメラを設置した中央通り商店街を進み、アルタ前解散という贅沢なコース。参加者は100名ほど。

 ネットカフェ規制条例は、現在の都議会でも無所属の福士敬子議員を除いて反対の声は聞かない。また、条例ということからか、人権問題に敏感なはずの法曹関係者からも目立った批判がだされていない。しかし、条例も法であり、今回の東京都の条例が全国のさきがけとなって波及し、条例制定をふまえて国の法律制定へと下からの立法化を促そうという狙いが警察にはあるとみていい。

●条例制定を必要とする社会状況はあるのか?
 ネットカフェ規制は、ネットカフェを利用した「ハイテク犯罪」防止を理由としているという。しかし、警視庁の資料でも、ネットカフェを利用した不正アクセスの検挙数は2009年で8件しかなく、自宅からの不正アクセス16件の半分である。たった8件の被疑事件のために、本人確認を厳格化し、その結果インターネットの利用者のプライバシーの権利が侵害されかねないような条例を制定することが必要とはとうてい思えない。法律を制定することを必要とするようなネットカフェが犯罪に関して特に強く規制されなければならない状況(立法事実)は極めて希薄なのだ。

 条例案では条例第1条の「目的」で次のように述べている。

 < この条例は、インターネット端末利用営業について必要な規制を行うことにより、インターネット端末利用営業者によるインターネット利用の管理体制の整備の促進及びインターネット端末を利用して犯罪の防止を図り、もってインターネット端末利用営業における健全なインターネット利用環境を保持することを目的とする。>

 「インターネット端末利用営業」という文言を別の言葉に置き換えれば何にでも当てはまるような「目的」の設定になっており、これでは立法事実を十分配慮したものになっているとは言えない。

●憲法が保障する「自由」権への明らかな侵害だ
 ネットカフェを利用したネット犯罪があるのだから、これを取り締まる法律(条例)があってもいいのではないか、という考え方もあるだろう。しかし、憲法13条には

< すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。>

と明記されている。インターネットの利用の「自由」も権利としての「自由」であって、これを法で規制するのであれば、それ相当の理由がなければならない。本人確認のための身分証明をもたない人たちがインターネットを利用することが「公共の福祉」に反するとはいえないことも明らかだ。たった8件の不正アクセスのインターネット端末を用いた犯罪が「公共の福祉」に反すると仮定したとして、だからといって本人確認をすべての人に求めて、確認できない人を排除することは憲法の自由の権利(コミュニケーションの自由の権利)に対する公権力による侵害にあたるのは明らかだと思う。一般に、法は自由を制約する。憲法が「自由」の権利を特に権利一般に含めずに明示的な権利として語っていることからも明らかなように、法の制定はいかなる場合であれ自由の制約を含むがゆえに、立法権の濫用をいましめていることは明らかだ。東京都の条例案は、ひとびとの自由の権利にまったく配慮している様子がうかがえない。

●公安委員会規則に「丸投げ」の問題

 条例案では、本人確認や本人の端末利用記録の保存についての詳細をすべて公安委員会規則に委ねている。たとえば本人確認については第4条で「運転免許証の提示を受ける方法その他の公安委員会規則で定める方法により、当該顧客について、氏名、住居(本邦内に住居を有しない外国人で公安委員会規則で定めるものになっては、公安委員会規則で定める項目)の確認を行わなければならない」とあり、名前と住所をどのような方法で確認するのかが不明確である。顧客にも「本人特定事項を偽ってはならない」(同2項)という義務付けがなされている。そして、本人確認記録も公安委員会規則で定めた方法によって公安委員会が定めた事項を作成し、3年間保管しなけれならないとしている。また、第6条では次のように規定している。
 インターネット端末利用営業者は、役務提供を終了した場合には、直ちに、公安委員会規則で定める方法により、顧客の本人確認記録を検索するための事項、顧客に提供した通信端末機器特定記録等」という。)を作成しなければならない。
 この通信端末機器特定記録等も3年間保存が義務付けられている。3年間の記録の保管は、共謀罪とともに大問題になって廃案を繰り替えしたコンピュータ監視法案ですら90日の記録保全が大激論になったことと比べても、異常に長い!! 長すぎる。通信の秘密に属する個人情報であることも考えれば、店側は料金の精算が済めば顧客データを消去するのがむしろ個人情報の保護とプライバシーの観点からもっとも必要なことなはずだ。警察はそうした「通信の秘密」をめぐるこれまでの議論を知ってのうえでの挑発を行っているのではないかとすら思える。

 また上の条文にある「通信端末機器特定記録等」とは、一体に何をさすのか明確ではない。「等」がついてるのが曲者であり、公安委員会規則でどのようなルールになるかで大きくその範囲は変わってくる。たとえば、コンピュータの動作を逐一記録することを要求するようなケースもありえないわけではない。ネットカフェのサーバーのログ(動作記録)を網羅的に記録し保全するといったことが行われてしまえば、ネットカフェからの通信は丸裸になる。

 そしてさらに第7条では、「顧客が入力した情報を他人が不正に利用することができないようにする機能を有するソフトウェアを備えた通信端末の提供」や監視カメラの設置などを義務付けている。この他人の「不正利用」を防止するような端末で想定されているのは、生体認証端末の導入ではないか。つまり受付で指紋などの生体情報を登録し、端末も同一人物が利用していることを端末操作の段階でも確認するとすれば、指紋認証でログインするという方法がもっとも確実だと推察される。銀行のATMではすでに導入されているし、市販のパソコンにも生体認証付きのものが販売されており、個人認証のひとつのトレンドに生体認証の利用があることは間違いない。生体認証をネットカフェでもやるようになることは僕がもっとも危惧することのひとつだ。プライバシー情報のなかでももっとも重大で保護が必要な情報が生体情報であり、一度でもその情報が取得されてしまえば、一生にわたって生体情報は不変だから、濫用や悪用の危険による本人へのリスクはとても大きい。軽々にこのような手法が導入されていいはずがない。しかし、すべての方法が公安委員会規則に丸投げされているわけだから、条例が通ってしまえば、こうした悪夢のような方法も規則に盛り込むだけで議会での審議なしに可能となる。

●通信の秘密、個人情報の保護、警察の捜査における「令状主義」との兼ね合い

 条例が成立した場合、ネットカフェ側は膨大な個人情報を蓄積する環境を整えることになる。では、警察はこの個人情報にどのようにしてアクセスするつもりなのだろうか?条例案12条では次のようにある。

 < 公安委員会は、この条例の施行に必要な限度において、インターネット端末利用営業者に対し、その業務に関して報告又は資料の提供を求めることができる。
 2 警察職員は、この条例の施行に必要な限度において、インターネット端末利用営業者の店舗その他の施設に立ち入り、帳簿、書類その他の物件を検査し、又は関係者に質問することができる。 >

 これは、とんでもない規定だ。令状なしで事実上の家宅捜索が可能だというのだ。これほど露骨に令状主義を無視するとすれば、この条例自体が憲法違反は明らかだ。念のため憲法の該当条文を挙げておく。

 < 第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
 2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。>

 警察はもちろん令状主義を知っているし、これを回避するあの手この手を使い、いまでは路上の職質や荷物検査を無令状で当然のようにしてやっている。こうした慣例をふまえてネットカフェも令状なしのガサを可能にしようというのだろう。

 問題はこれにとどまらない。ネットカフェという業態は、電気通信事業法にいう電気通信事業者に属するとみなしていいのではないかと思うが、この点は明確ではないかもしれない。電気通信事業法では「電気通信設備を用いて他人の通信を媒介し、その他電気通信設備を他人の通信の用に供すること」を電気通信役務とよび、「電気通信役務を他人の需要に応ずるために提供する事業」を電気通信事業というわけだが、ネットカフェはこの意味での電気通信事業者だが同法9条に規定された届出義務はない範疇のものといえそうだ。もしネットカフェも電気通信事業者であるなら、同法4条の

 < 「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。
 2  電気通信事業に従事する者は、在職中電気通信事業者の取扱中に係る通信に関して知り得た他人の秘密を守らなければならない。その職を退いた後においても、同様とする。>

にしたがわなければならない。利用者の名前や住所など本人確認情報は、端末機器の番号や店側が保存している他のデータと組み合わせれば、極めて高度なプライバシー情報となる。したがって、本来であれば警察がこうした個人情報を任意で提出するように要請することについては、応じるべきではなく、裁判所の令状が必要だと考えるべきだろう。それが「通信の秘密」についての基本的な趣旨だと思うが、現状では任意提出されているケースがみられるようだ。もし、条例と公安委員会規則が制定されてしまえば、本来必要なはずの裁判所の令状がなしくずし的に不要なものとして慣例化され、しかも条例(法)によってお墨付きすら与えることになる。このことがもたらす波及効果は大きい。ネットカフェで本人確認情報やログに類するデータが令状なしで取得できるなら、プロバイダーでも民間企業でも学校でも図書館でもどこでも個人情報を警察が自由に取得できるような環境ができてしまう。こうした環境を覆すためには、条例が上位の法律や憲法に違反するとして条例の無効を訴える訴訟が必要になるかもしれない。

 ネットカフェ業界は電気通信事業者の業界と比べてもプライバシー保護への関心は薄いだろう。マンガを提供するという意味ではある種の図書館でもあるが、日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」という基本的なガイドラインで次のように規定している。

 < 第3 図書館は利用者の秘密を守る
 1.  読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
 2.  図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない。
 3.  利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。>

 ネットカフェごときを図書館というなんて大げさだと言うかもしれないが、そんなことはないのだ、図書館のこの規定は、プロバイダーにも当てはまる重要なガイドラインだといえる。読者をネットユーザーに、読書をインターネットのコンテンツやログに置き換えれば十分当てはまる規定だ。逆に、ネットカフェが長期の利用記録を保存するようになれば、図書館の「宣言」もまた危うくなるとみなければいけない。

●排除と監視をこれ以上強めてはいけない
 デモの主催者や参加者が繰り返し批判しているように、本人確認の厳格化は、野宿者やフリーターなどで身分証明ができない人たちを追い出す恰好の口実となるか、こうした都市部の底辺層の動向を監視し情報を収集する手段として警察が治安維持目的に利用する可能性を否定できない。ネットカフェという業態は、個室に近い環境でのインターネットへのアクセスとマンガ読み放題で格安、24時間営業、シャワーや軽食もとれるといったちょっとしたプライベートスペースの提供で成り立っている。ある程度の所得階層であれば、自宅に常時接続のネット環境があり、モバイルアクセスができ、風呂もあれば、bookoffでマンガを買うくらいの小遣いもある、ということになる。宿泊するのもビジネスホテルを利用すれば常時ネット接続は当たり前に利用できる。ネットカフェは、こうした所得層に届かない階層がもっとも利用しやすいネットアクセスと休息のサービスを提供しているといっていい。所得の低い不安定就業や失業者であればあるほど本人確認の身分証明は難しい。運転免許証がなければ、公的身分証明はたぶん何もないかもしれず、健康保険証は顔写真がないので断られるかもしれず、パスポートは住所確認には向かない(は貧困層の保険証やパスポート所持率は低いだろう)。本人確認の厳格化は、ニーズがあるにもかかわらず、確実にネットカフェ離れを引き起こす。

 ネットカフェ規制条例は貧困層排除の効果をもたらすとすれば、これは、さらに貧困のスパイラルを強化することになる。ぼくの周辺の不安定就業に就いている若者たちのコミュニケーション環境をみてもわかるのだが、携帯すらもてない若者もおり、通話料を支払えず頻繁に「お客様の都合でお繋ぎできません」状態になっている者もいるなかで、携帯は日雇いの仕事を受けるうえではライフラインでもある必需品だが、パソコンでネットにつながる環境ということになると、こうした環境をもっている若者は決して多くはないのだ。学生ですらこの傾向は顕著だ。デジタルデバイドは、所得格差によって引き起こされる深刻なコミュニケーション差別問題として、特に第三世界ではインターネットをめぐる社会問題としては第一に挙げられる大問題であるが、同じことは先進国でも言えることなのだ。デジタルデバイド解消のために、公的機関(図書館や公民館など社会教育機関)がインターネットへの無料でのアクセスを提供するといったことが必要であるにもかかわらず、こうしたコミュニケーションにおけるセーフティネットの多くの部分をネットカフェが支えている。ネットカフェ規制は、社会的排除がもたらすデジタルデバイドを意図的に拡大する一方で、憲法が保障するプライバシー権や自由権を侵害し、令状主義も警察が無視して構わないということに法的なお墨付きを与えることになる。ネットカフェ規制はこれにとどまらないだろう。次々と他の業種にも同様の規制が広がる危険性があり、匿名での自由な情報発信は絞め殺され、実名主義と監視、検閲がまかり通ることになる。この意味でも、ネットカフェ規制に対しては、法律家やネット関係者がもっと危機感をもたないといけないと思う。


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