ディストピア TOKYO

街からさまざまな人の表現や本音が見えることこそ、大切なこと

by on 3月.13, 2009, under パブコメ

『東京都青少年・治安対策本部総合対策部安全・安心まちづくり課 
 パブリックコメント担当 殿
 
「繁華街等における安全・安心の確保に関する考え方」読ませていただきました。
  私達の生活に大切なこと、急がずに根本的なところを多くの人と話し合うことがとても有意義だろうと思いました。
 まず第一に、根本的に考えなければならない安全・安心をこのような取締り・管理的な内容で本当に考えていいのか。
 残念ながら今、警察の交通の取締りがひどい内容になっているのと同じになってしまうのではと思います。捕まらないように逃げ死亡や事故をする人も多く、又福祉や老人介護の為に仕事している車でさえ違反を取られる状況。これでは人の為に骨身を削っている善良な市民さえも、安全を謳う警察を不信に思う訳です。
 こんな状況の上に、街の安全の為に管理・取締りをするのではますます袋小路を作ってしまうと思います。その上今回、街の人やボランティアを取り込もうとされていますが、警察と同じような人を作ってしまうだけなのではと空しくなります。取締りに関わる人その人自身が悪いのでないのに、そうした人の感覚をおかしくしてしまうからです。そもそも、そのようなおかしな取締まりの法律を作りそれを施行することが間違っているのでしょう。
 
 今回挙げられている秋葉原や八王子での事件ことについて考えることは大切と思いますが、その対応策は、取締りではない方向、もっと暖かで開かれた方向、例えば交流していくような方向を考えるべきだと思います。
 
 そうした点で、様々なことへの管理やパフォーマンスの取締りのようなことも書かれてあり気になります。「街に多大な迷惑になるようなパフォーマンス、街の秩序を乱す行為を慎むこと」という見方は人によって様々な感覚があると思います。黙っているけれど、政治の街頭演説でさえ迷惑に思う人がいるかもしれません。
 開かれた場所として、全ての人の表現が自由であること、そうしたことが保障されて安心で安全であってほしいと思います。様々な人の様々な考えがあり、そうした行き交いがあってこそ街であるわけです。事件が起こっている要因とこうした表現の自由は、それぞれ独立して話されなければならない。
 
 表現についていえば、情報が過多な中で、表現(存在)技術の高度化による社会常識的な壁や制限が出て来てしまって、そうしたことを要因とする表現(存在)に対しての個人としての不自由な状態、表現(存在)の身体からの乖離状態、自分個人の思いを表現出来ない無力な人間である心理状態を無意識に作ってしまうことなどにより、より個人の存在への圧迫した社会的心理状態を作り出し、外側は良い人間のように装っても、自分の思いを人に伝え実際に向かい合ってコミュニケーションできる状況や場所を持てない場合、自分の感情を押し殺し続けてしまいがちになり、そのうち遂にもう一つの悪質な人間を同じ一人の人間が作り出してしまうことから事件が生み出される状態もあると思います。どんな人でも生きている限り人に伝えたいということがあるといいます。
 いろいろな人が様々な表現を行うそうした可能性を街で制限しないで下さい。街からさまざまな人の表現や本音が見えることこそ、大切なことと思います。
 
 また、人の行為をただ迷惑としか思えないような他者切捨ての自己中心的な感覚を作ってしまう街ほど安全でないことはありません。
 他の人が何を考えてそうしているのか、他の人の存在を受け入れ、様々なことに皆で出会って考え交流できる場を街が持てる、そうした安心・安全な街を願います。
 実際、事件事故が起きた時に本当に取り締まればすむと考えられるでしょうか。もう前の話ですが、地下鉄サリン事件の時、本当に苦しくて倒れている人を脇目に日常の仕事場へ急ぐ人が多かったという。それはやはり、管理された中に慣れているしまったことから周囲の人への関心が低くなってしまい、誰かがやってくれる取締まってくれる、と管理下の自分の管理しか考える余裕がなくなった無意識が当然のようにそうさせてしまったのだと思います。
 本当に大変なことやおかしなことが起こっている時に周囲がそれを察知しその状況をよく理解しようとしながら何とか対処する、簡単なことではないけれどそうした意識をもう一度街を歩く私達自身が取り戻していかなければならない。それには、取締りや管理は間違った行為だと思います。
 
 このための可能性として、警察を使うのではなく、福祉や教育、心理やアートの方向の人とともに交流の場を街の中につくり、そこから安心や安全を生み出していくということも考えられると思います。そうした人間としての根本的なことから向き合い理解しようと考えて対処したほうがいいと思います。
 (このことについては、もっといろいろ考える必要があるし、各地域での取組みが考えられると思います。そうした所にまたボランティアが人員となるといいと思います。)
 
  これからは、もう取締まるのではよくはならないと思います。結局、取締まり管理することで、もっともっと見えないところへ病巣を追いやってしまい、どんどん安心できない安全のない方向になってしまうと思います。もっとオープンな方法で、私達の安全や安心を街が作っていけるように。
 
 あともう一つ、みかじめ料をとるという、そうした東京都のあり方が、暴力団をなくそうといっている都でありながら、東京都自体が暴力団のように感じられてなりません。大丈夫なのでしょうか…できれば、街づくりの安心のための活動の運営資金になるようにお金を払ってもらうよう、明解にお金が出入りする方法を考えていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 
 ・・・この内容についての意見提出が1週間しかないのは短すぎます。今回の意見を考慮してまた作り直して再度意見を都民に聞くということなのでしょうか。今の私達にこうした内容を多くの人で共有することはとても大切なことと思います。東京都の都民(に限らない範囲になっていますが)にとって、日常的なことを方向付けようとしているのですから。しっかりと考えて話し合うくらいの時間が必要なのではないかと思います。』


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