ディストピア TOKYO

何か問題があれば、その都度、当事者同士が話し合う、また、そのことで新たな街の活気も生まれてくる、都市というのはそういうものではないでしょうか。

by on 3月.16, 2009, under パブコメ

『東京都安全・安心まちづくり有識者会議報告書などについてのパブリックコメント担当者さま

 20年ほど新宿で暮らし仕事もして、数年前に故郷に帰った者です。
 今でも上京すると必ず新宿で友人たちと飲み交わし、今でも故郷のように感じておりますが、あなたたちの定義する「来訪者」として、あるいは勝手に「無識者」としてコメントさせていただきます。

 今回のこの報告書に関して、非常に危惧の念を覚えます。
 まず、この会に関してだけではないですが、「有識者会議」とはどういう民主的根拠があるものなのか。
 ここでいわれている「安全・安心」とは、どういうイメージなのか。

 ここであげられているなかには含まれていませんが、私が新宿で暮らしていた最後の方でのある種の恐怖は、普通の人たちが混雑する駅のなかで、殺気を帯びているかのように傲然とぶつかってくるかのような雑踏でした。
 むしろ、盛り場では、他に特になにも「安全・安心」を脅かされるような思いをしたことはありません。
 そして、このような一種の群衆の恐怖のようなものは、法や条例で取り締まれるものではないはずです。
 根拠なく、不安や恐怖をあおり立て、まったくお門違いにいろいろなものを取り締まろうというふうにしか読めない部分が、この「有識者」の方々のものには何カ所かあります。

 特にパフォーマンスに関してのものなど、その最たるものではないでしょうか。
 いろいろなパフォーマンスを新宿では見かけますが、それで迷惑をこうむっているひとなどいないように感じます。
 みんな、そのにぎやかさも含めて、新宿という街のエネルギーを楽しんでいる。
 何か問題があれば、その都度、当事者同士が話し合う、また、そのことで新たな街の活気も生まれてくる、都市というのはそういうものではないでしょうか。
 そうした力を持っているのが新宿という街の最大の資源であるはずです。
 それだけではなく、この規制は、憲法にも抵触すると考えますが、いかがお考えでしょうか?

 「テロとの戦争」の日常化のように、なんでもかんでも取り締まる。みんなが家に閉じ困って、街に出る時はおとなしく消費だけしていれば、「安心・安全」なんでしょうか?
 「割れ窓理論」などと、もうその無効性がとっくに宣告されたようなものを持ち出して正当化を図るのはやめていただきたいと思います。
 最近の事件のように、なんの変哲もない家庭でいきなり起きる殺傷事件の多発などに対しては、こうしたものはいっさい役に立ちません。問題のすり替えにしか見えないようなものが、「有識者会議」の名前で出てくることに驚きを禁じ得ません。

 誰のための「安全・安心」なのか、よくわかりませんが、ほんとうにちゃんとした社会を構想されようとしているのであれば、もう少し、「有識者」の内容を考えるとか(なぜ、もっと多様な職種の人が入っていないのか。パフォーマーたちは取り締まられるだけで有識者ではないのか? 区長というのは行政マンであって「有識者」といえるのか、などなど)、自分たちの方向性自体を問い直してみるとか、いろいろやることはあるように感じるのですが。

 勝手なことを書き連ねましたが、なにとぞ、冷静な理性ある判断と行動をお願いいたします。』

(都外 男性、45歳、自由業)


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